うさぎ組

ソフトウェア開発、チームによる製品開発、アジャイル、ソフトウェアテスト

オンザロードを卒業します

f:id:kyon_mm:20201207210259j:plain Photo by Baim Hanif on Unsplash

今年いっぱいで株式会社オンザロード(以下OTR)を退職することになりました。そのご報告です。

OTRに入社したのは2011年9月1日で、id:bleis-tift さんにあこがれてでした。はてなでブログを書くキッカケになったのも bleisさんのおかげです。 kyon-mm.hatenablog.com

そのbleisさんにあこがれてOTRに入社し、10年在籍し、そしてずっと同じチームで仕事をし、今度は一緒に卒業をすることになりました。OTRには感謝しつくせません。 チーム移籍についての一旦のご報告はこちらになります。

www.kikan47.org

僕がOTRにはいったのは、Jenkinsマスターがくる!みたいなかんじでした。入社すると、Jenkins, Git, Gitolite, Redmineという構成でうごいているプロジェクトがいくつかあり、Jenkinsのメンテナンスやブランチ戦略について考察をする日々でした。自分が好きなGroovyというプログラミング言語とも相性がいい事もありいろいろ工夫したのは懐かしいです。その一方で、プログラムにかんして、社内の他メンバーが圧倒的にできるため、私はそのあと悶々とする日々をすごします。結果として、私はソフトウェアテストソフトウェア工学アジャイル開発、生物学、建築、進化論と学習をすすめていくことになります。(プログラミングとかインフラも、1人でWebシステムを構築し、なんとなくパーサーをつくって簡易な独自DSLをつくれるくらいにはなりました。Java VMは結局たいしたものは実装できませんでした。やりたい。)

OTRではほとんどの期間を基盤チーム(現:47機関)で過ごしました。チームにジョインしたときは関数プログラミングもわからず、責任のある振舞いというものもできず、様々な方にご迷惑をおかけしました。長時間の残業をつづけていたこともありました。そこでも周りの方は絶えずチームを支えてくれました。そうして数年を過ごすうちに、やっと「自分達はなんちゃってアジャイルをやっているんだ」というように思えるようになりました。(当時もそんなにハッキリと気付いたわけではなくて、徐々に気付いたかんじ)自分たちでフレームワークを作り、保守し、クラウドを使っていくというのは、ときにはかなり低レベルな部分を調べることもあり楽しかったです。

社内では兼業もそこそこあり、これも結果としては、兼業を普通とするためにも短期間なスプリント(現:15分スプリント)というアイディアが生まれました。その中でテスト戦略、テスト設計を他チームにサポートすることが多くありましたし、レガシーコードを良質なコードに近付けながら保守していく方法についても身に付けていきました。SIerで多様なプロダクトでギリギリはもうけていかなければいけないというのは学ぶところがおおくありました。

こういった経緯からもソフトウェアテスト界隈での露出がおおかったです。JaSSTの実行委員会をやりながら、プレゼンをさせてもらったり、出張講演をさせてもらったりとたくさんのつながりをつくることができました。ソフトウェアテストについてそこからも研鑽していくかとおもいきや、2017年からはぐっとアジャイルに絞られてきました。この頃から、チーム内での議論が最も楽しくて外部で刺激を得られることが少なくなってしまったというのがありました。

そうこうしているうちに、お客様からバイネームで仕事をいただけるようになってきて、enPiTという文科省プロジェクトに関わり、大学教育に関わることになりました。Project Based Learningでの研修をずっとやっていたこともあり、いくつかの企業の新卒研修に携わることにもなりました。この頃から徐々にチームメンバーを増やしていきました。47機関に今在籍している ちゅーんさんや、でこれきさんはこの頃に入ってきてくれます。 他にもデンソー様とコラボレーションする事になり、出資していただくという初めての体験を出来ました。

そういったことを通して、2019年には個人事業主「うさぎ組」を開業するにまでなりました。おかげさまで売り上げは順調で更に学びと仕事が加速しました。OTRでも私くらいにがっつりとした複業をする人ははじめてでした。

また、2019年に次男が生まれたときには、育休を3ヶ月ほどとりました。OTRでは男性育休がはじめてで、複業ありのケースもまたはじめてでした。いろいろ社内の未定義制度はある程度これでととのったとおもわれます。

これらの背景から2016年からはRegional Scrum Gathering Tokyoでスクラムについて、47機関について毎年プレゼンさせてもらってます。他にもCEDECを始めとして、大小問わず様々な人と現関わらせてもらいました。そんな話から、幾人かからは「きょんくんがチームをひっぱっている」と思われているようですが、ここまでにあるような自由な活動をしながら、ある種のエクストリームな挑戦をしつづけるということに共感してくれるメンバーで構成されたチームだったからこそのいまの形があります。僕はある種のフロントマンなだけであって、実際にチームをリードしていたのは全員で、相互作用によってチームが成長したと思ってます。

僕は自身についてプログラミングに関するギフトは持っていないと自覚しています。ですが、その身でありながらも、賢い人達と仕事をすることを選んだ以上、覚悟が必要になる場面は多数ありました。僕は「acts_as_professional」とほられたグリーンバンドを左手首にとおしています。おそらく2017年頃から毎日身につけてます。それからほとんど毎日、私は仕事でもどんなときでも、左腕をみて「私ができうる最高のプロとしての振舞いをできているだろうか」と本当に日に数度自問してきました。その自問を通すたびに、OTRで、チームで、個人事業主で、コミュニティで、できることというのが多数みつかり、なおかつ、いまのコンテキストでやるからこそ価値の高いものというのがありました。(やれるかどうかは別ですし、失敗もたくさんしました)

最高のチームを欲しいと言われたときに、いつでも提供できるようにするのが私の目標であり、そのためにやれることはやりたく、OTRでは書ききれないほどのこと経験をさせてもらいました。 それはOTRをとおして仕事をしてくださったお客様、パートナー様がいることによって、支えられ、実感できるものでした。

今回卒業することになりましたが、OTRともお客様ともパートナー様とも、これっきりでという形ではなく、今後も長く続けていければとおもっています。

最高の10年間でした。ありがとうございました。

恒例のリストです。

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